平野博士の「核心司法」論
2008年 07月 10日
しかし法務当局側からは、この新制度が煩瑣な「精密司法」から整理された「核心司法」への転換であるといった声も聞こえてきます。そこで、「核心司法」論の元となった平野博士の論文を参照してみました(「参審制の採用による『核心司法』を」ジュリ、1148号2頁、1999年)。
そこでは、たしかに、参審制によって、捜査記録も、要を得た、そして事件の核心を突いた短いものとなり、公判での証人尋問、反対尋問も、精密なものではなく、核心的なものになるかもしれず、それによって精密司法、調書裁判という現在の刑事裁判の欠点から、なかりの程度脱却できるのではないかとの指摘があります。しかし同時に、それがひいては取調べのやり方、身柄拘束の長さにも影響を及ぼすことへの期待が含まれていました。
ところが、肝心の捜査過程の現状(代用監獄における密室の長時間の取調べ)については、国連の人権委員会からの度重なる勧告を日本政府は無視し続けてきているが、いつまでも放置するわけにはいかないだろうといわれていたのです(しかし今でも無視されています)。
このような指摘は、司法改革がまず被疑者の弁護の強化から始めるべきだとする平野博士の提言に対応するもので、これを「核心司法」の名による争点整理の技術に矮小化させてはならないことを示しています。