雲泥の差
2008年 03月 22日
そこで、警察官や検察官による取調べの過程を録音・録画して「可視化」しようという提案が、かつてから弁護士会などからなされてきていたのですが、最近では、検察庁も、そして警察庁も、取調べの一部を録音・録画する方向に転換し、すでに検察庁では一部で実施しています。
それは、一歩前進ですから、歓迎すべきことのように思われるのですが、「一部」の可視化と「全部」の可視化には、まさに「雲泥の差」があることに注意しなければなりません。それは、単に量的な差ではなく、可視化することの目的や趣旨が全く異なるからです。
最高検が「一部」の限定にこだわるのは、全部を可視化すると、容疑者を厳しく追及できなくなるので捜査に支障をきたすというのです。つまり、現在の取調べの方法(最近のブログで紹介しました)を温存したままで、たとえば被疑者が自白している場面を録画して裁判員に見せようというのが本音なのです。
しかし、その被疑者がどうして自白するようになったのかという過程にこそ問題があるのですから、「全部」の可視化でなければ意味がないはずです。それによって、はじめて、現在の取調べ方法への反省と変革が期待できることになるからです。
検事へのアンケートでは、全部の可視化に賛成はゼロとのこと。まだまだ取調べの現状の自己変革は期待できそうもありません。
因みに、民主党はすでに、全部の可視化法案を提案しています。