最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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蒸留水を蒸留する?

 私は今、佐伯博士の戦前の刑法思想と、いわゆる「日本法理」との関係を調べて始めています。この「日本法理」とは、戦前、とくに昭和10年前後から、ナチスの全体主義思想に影響を受けた当時の西洋法に対抗して、東洋法、なかでもわが国の「日本法」の中に歴史的・伝統的に内在する民族的な文化を、「日本精神」「日本道義」「日本倫理」として強調しようとした思想的な運動をいいます。
 刑法の分野では、とくに、小野清一郎博士がその先頭に立って、『日本法理の自覚的展開』(昭和17年)という著書・論文の中でこの問題を精力的に論じられたのですが、その克明で情熱的な論理には、今読んでも圧倒されてしまうほどの迫力があります。それは、刑罰の本質を犯罪に対する道義的な「応報」・「贖罪」と考える旧派(古典派)の刑法思想に由来するものですが、日本法理の自覚は日本民族的・日本国民的・日本臣民的体験に基づかなければならないとし、それは皇国の道としての君臣・父子・夫婦・親族・同胞という人倫生活の道理の中に内在しているといわれたのです。
 これに対して、牧野英一博士は、刑法の目的が犯罪の予防(社会防衛)にあるとする新派(近代派)の立場から、冷静な批判を展開されていますが、そこでは、われわれも「日本的なもの」を考慮するけれども、小野博士の「日本法理」がいかにも「幽玄なる刑法理論」であるだけでなく、「自己陶酔」とは言いたくないけれども、「目的を超えた目的」というような表現は、「蒸留水を蒸留する」ようなものだとして批判されていたのが注目されるところです。
 さて、佐伯博士の場合はどうか、というのがこれからの検討課題です。
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by nakayama_kenichi | 2008-02-16 18:24