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最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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三上照夫氏のこと

 最近、すでに15年前に亡くなった三上照夫氏の奥様から、巻紙の丁寧な書面を頂きましたが、その内容は、三上氏が生前、若狭の賢者の旧門弟達と親交があったことがご縁で、奥様自身がこの11月に若狭の仙崖荘を訪問したというものでした。
 不思議なご縁だと思って、早速に京都西京区のご自宅を訪問して、直接に奥様から話を聞く機会がありました。そして、結果的には、予期した以上の隠れた事実を思わせるような事実が示唆され、全く驚いてしまいました。
 第1は、三上照夫氏が戦前は中学時代に少年兵を志願し、特攻隊員として死線をさまよう経験をした後、戦後は寺に入って修行する中で経典類を猛勉強し、昭和20年代の中頃に若狭の賢者の門弟達と交流しただけでなく、当時すでに亡くなっていた若狭の賢者(乾長昭氏)の後継者にま推されていたという話です。
 第2は、しかし結局は、三上氏自身は京都の地で人の道を講じる説教師としての道を選び、講演・講義に走り回って、15年前に病死するまで、倦むことなくその仕事に献身されたという話です。これは、若狭の賢者の活動にも匹敵するものといえるかもしれません。
 第3は、三上氏の没後、奥様自身が、残された膨大な講義録や資料を読み取ってパソコンに入力し、しかもこれを毎月一冊の雑誌として自ら印刷し、200名に及ぶ読者(信者)に送り届けるという仕事を、現在に至るも続行されているという話です。
 私が頂いた最近号(松栢第162号)には、「講演講話より」(昭和35年)のほか、「思い出の一筆箋」として若狭の賢者と仙崖荘についても、詳しい記録が記されており、仙崖荘の写真まで掲載されていました。
 死ぬまで休めませんねといわれて、2人で意気投合しましたが、次回はもっと詳しいお話をすることを楽しみにしています。
by nakayama_kenichi | 2007-12-05 21:56