最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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仙崖荘にお別れする会

 10月22日の朝早く家を出て、若狭に向かいました。近江今津から知人の車で若狭町に入り、例の90翁の赤崎さんと昼食を共にした後、午後から町の公民館に向かいました。公民館の一室には、若狭の賢者といわれた乾長昭氏の遺品類が集められていましたが、これらはかつての乾長昭氏の門人達の子孫が「家宝」として大切に保存してきたものを一堂に集めたもので、おびただしい数にのぼります。その中には、大きな横額や掛け軸などのほか、講義録や四書五経などの経典類の古い資料が含まれており、まずはその数量に驚かされました。
 その場では、とても整理できないので、写真を撮って存在を確認し、各家庭ごとに目録を作成してもらうよう、依頼しました。乾長昭氏の蔵書目録を示す資料も出てきましたが、その所在はいまだ判明していない状態です。
 展示会の後、集まった十数人の門人関係者は、そろって乾長昭氏が住み、そこで講義をしていた「仙崖荘」に集まり、この家の主(あるじ)の大きな遺影の前に数々の供え物をして、合掌し、今な亡きなき乾長昭氏と門人達の数奇の因縁を語り合いました。仙崖荘は昭和2年に新築されたもので、ちょうど80年前ということになります。今まで、門人達の子孫によって立派に管理されてきましたが、もう限界にきているので建物は取り壊し、記念碑を立てるということになったのです。
 その後、近くの旅館に一同が集まって夕食の懇親会をし、仙崖荘にお別れをする会の締めくくりが行われましたが、数名の女性を含む十数名の門人関係者の精神的な支柱の強さと一体感に改めて感動しました。女性の皆さんは、今後も乾長昭氏の眠る墓場の清掃を続けていきたいというのですから、全く頭の下がる思いです。その日、私自身は、その旅館に一泊しました。
 なお、当日は福井新聞の記者が取材に来ていましたが、10月24日の福井新聞嶺南版に、教え子の子孫10人が持参した「儒教、仏教説いた若狭の賢人、乾長昭氏の遺品・資料200点」が展示され、住民ら遺徳を偲ぶという記事が出ています。
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by nakayama_kenichi | 2007-10-24 20:45