最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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今年の8月15日

 また8月15日がめぐって来ました。62年前の1945年(昭和20年)の8月15日を思い出します。私は、当時、清水高等商船学校の2期生として、その日の朝も、日課通り、5時に起床して、炎天下の訓練に従事していたのですが、報道管制の中でも、廣島に新型爆弾が落ちたという情報はすでに口伝えられ、戦況に利なしという雰囲気の中で、アメリカ海兵隊が清水に上陸することを想定した「玉砕」戦法の展開を現実的のものとして意識しつつ行動していました。しかし、すべては、もう限界に来ていたのです。
 その日の昼に、私どもは、校庭への集合命令が出て、いわゆる「玉音放送」を聞いたのですが、多くの者は一種の放心状態の中で、敗戦の帰結を知らされました。多くの若者は涙を流しましたが、冷静になれば、これで命が救われたという安堵感が沸いてきたものです。まさにその日から、戦争ではなく、平和がよみがえったのですから。
 しかし、重要なことは、このような形での戦争終結の決断とその時期があまりにも遅すぎたたために、その直前と直後に、避けられたはずの多くの犠牲者を生み出すことになったことです。その責任をこそ問題とすべきでしょう。戦争の惨禍は、戦死者を靖国神社に英霊として、しかもA級戦犯と合祀するという形で処理するには、余りにも重大で全く的はずれといわなければなりません。昭和天皇自身がA級戦犯の合祀への不快感から靖国神社参拝を止められたという「御意」をも顧みない者は「不忠者」ということになるのではないのでしょうか・・・。
 今年の8月15日は、昨年よりも、さらに一段と暑くなり、最高気温が37,38度まで上がりました。それは、戦争による犠牲と惨禍に加えて、地球規模の異常気象によると大規模な環境破壊と自然災害がもたらされる危険を警告しているように思われます。60年前の素朴でつつましい生活に帰れないものか、真面目に考える必要があると思うのです。
 
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by nakayama_kenichi | 2007-08-15 17:48