靖国参拝と天皇の対応
2007年 07月 24日
昭和天皇は、まさにその人のために命を捧げた「朕が忠勇なる戦死者」をとむらう靖国神社に参拝することには理由があり、現に1975年(昭和50年)11月21日までは、欠かさずに参拝していましたが、それ以降は、いっさい参拝しなくなったという重大な事情変更があります。
その理由を昭和天皇自身が明らかにしたことはなかったのですが、実は昭和天皇の側近であった故卜部亮吾氏が残した日記の中に、この点に関連する記録があることが分かりました。それによりますと、2001年7月31日の日記には、「靖国神社の御参拝をお取り止めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」と記載されているというのです。それは、昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を示していたと見られる趣旨として、きわめて重要な意味をもっていることは明らかです。そして、明仁天皇も、即位以来一度も靖国神社に参拝したことがないという事実も、これに付け加えておく必要があるでしょう。
私にとって、不可解なのは、天皇を日本国の象徴としてあがめてやまない内閣総理大臣や閣僚達が、なぜ天皇の御意に召さないことが分かりながらA級戦犯を合祀した靖国神社への参拝に固執するのかという点です。この点をもっと強調すべきであって、そこからは少なくとも1978年のA級戦犯合祀を止めるという合意が出てくるはずだと思うのです。
なお、たしかな記憶ではありませんが、国旗・国歌法が出来たときも、園遊会の席で、東京都教育委員会の米長邦雄氏(将棋旧名人)が天皇に対してこの法律の趣旨を徹底して行くと上奏したのに対して、天皇の方から強制にわたらないようにとの応答がなされたことを新聞でみたことがあります。むしろ、天皇の方がリベラルなようにさえ思われるほど、この国の為政者の姿勢は明らなに狭隘な権威主義に陥っているように思えてなりません。