最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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国旗、国歌と私

 国旗の掲揚や国歌斉唱をめぐる東京都教育委員会の通達や指導を違憲とする東京地裁の判決が出た機会に、国旗、国歌と私個人との関わりについて、記しておきたい。
 私が「日の丸」と「君が代」に接した記憶として残っているのは、戦前の昭和10年代の小・中学校および家庭においてである。学校の行事や儀式の際には、決まって日の丸の掲揚があり、君が代の斉唱が行われた。それは主権者である天皇陛下を崇め奉る神聖な行事であり、一分の隙も気の緩みも許されない規律が支配していた。学校には「特務曹長」(軍人)が配属され、教育勅語を中心とした天皇制の軍事教育が促進されていた。
 一方、家庭内においても、国の定めた祝日には、各戸とも早朝から玄関に国旗を飾りつけ、ラジオには国歌のメロデイが流れていた。不敬の行為があってはならず、天皇陛下という言葉を聞いただけでみんなが姿勢を正したのである。
 しかし、私どもは、そのような状態を当然のこととして受け止め、そのような学校教育と家庭教育のなかで軍国少年として育っていった。ただし、生徒間の選別はきびしく、優等生が表彰される一方で、ついて行けない落伍者にはきびしい仕打ちが待っていた。私自身は、内心の臆病さを隠しながらも、何とか難を切り抜けることができた。
 私は、現役の海軍兵学校ではなく、予備役の高等商船学校に入学した。しかし、ここでも海軍方式の教育が支配し、国旗と国歌は常にその象徴であった。そして、ようやく敗戦によって命を拾い、軍国主義の体制から「解放」されたのである。
 戦後の教育は、その歴史的な反省から出発したはずであり、天皇制とともに、国旗も国歌も見直されるのが当然であった。私自身は、少なくとも昭和天皇は退位すべきであったと思うし、日の丸や君が代は、いっさい見たくもなく、歌いたくもない。
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by nakayama_kenichi | 2006-09-24 21:03