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最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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昔の「成績簿」

 私がかつて在学し卒業した学校(小学校、中学校、高等商船学校、旧制高校、旧制大學)の「成績簿」が揃って残されている。これらは、古い時代の学業成績簿として、歴史的な意義があると思われるるので、いずれその内容を公表したいと考えているが、今日のところは、その一般的な特色を書きとどめておくことにする。 
 小学校6年間は、もちろん戦前の昭和10年代であるが、3年までは甲、乙、丙、4年からは10点満点で表記されていた。国語、算数、国史、地理などの学業成績のほか、身体の状況も詳しく記録されており、発育、栄養ともに乙と評価されている。
 中学校5年間は、100点満点の表記だが、5学年のみは優、良、可の表記に変わったほか、5学年では、修身、修練という科目が増えているのは、戦時体制に対応した変化の現われと思われる。しかし、基本的には、いわゆる「英数国漢」が中核的な受験科目であった。
 高等商船学校の1年半(敗戦まで)は、英語や数学、物理、化学のほか、航海法規、気象学、さらに兵学、乗船実習などの科目が並んでおり、よくついて行けたなあと思う。
 旧制高校3年間は、戦後の解放期に当たるが、文科1類なので、英語とドイツ語のほかは、古典、哲学、歴史、社会など、科目数も少ない。学生は語学以外の講義にはあまり出ず、成績を度外視する風潮が顕著であったことを反映してか、おおまかな評価となっている。
 旧制大学3年間(休学のため4年)は、卒業までに24科目(外国法3科目を含む)が必要であったが、1年次に8科目とったものの、病気休学したため、講義を聞かないで試験だけ受けるという便法で、ようやく24科目に達するという危ない橋を渡った。しかし、結果的にはこれが大學への就職の決定的な証拠となったのである。
by nakayama_kenichi | 2006-01-17 21:37