昔の「成績簿」
2006年 01月 17日
小学校6年間は、もちろん戦前の昭和10年代であるが、3年までは甲、乙、丙、4年からは10点満点で表記されていた。国語、算数、国史、地理などの学業成績のほか、身体の状況も詳しく記録されており、発育、栄養ともに乙と評価されている。
中学校5年間は、100点満点の表記だが、5学年のみは優、良、可の表記に変わったほか、5学年では、修身、修練という科目が増えているのは、戦時体制に対応した変化の現われと思われる。しかし、基本的には、いわゆる「英数国漢」が中核的な受験科目であった。
高等商船学校の1年半(敗戦まで)は、英語や数学、物理、化学のほか、航海法規、気象学、さらに兵学、乗船実習などの科目が並んでおり、よくついて行けたなあと思う。
旧制高校3年間は、戦後の解放期に当たるが、文科1類なので、英語とドイツ語のほかは、古典、哲学、歴史、社会など、科目数も少ない。学生は語学以外の講義にはあまり出ず、成績を度外視する風潮が顕著であったことを反映してか、おおまかな評価となっている。
旧制大学3年間(休学のため4年)は、卒業までに24科目(外国法3科目を含む)が必要であったが、1年次に8科目とったものの、病気休学したため、講義を聞かないで試験だけ受けるという便法で、ようやく24科目に達するという危ない橋を渡った。しかし、結果的にはこれが大學への就職の決定的な証拠となったのである。