野球部の思い出
2005年 07月 11日
ところが、大東亜戦争に入るとともに、野球は敵性スポーツであるとして批判され、私どもの野球部も、私が4年生の昭和17年頃には、とうとう解散に追いやられてしまいました。柔道や剣道や銃剣術などが好きでなかった私は、大変困った末に、グライダー部に入りました。もっとも、地上の整備作業に従事しただけで、グライダーで空を飛ぶという貴重な経験は、結局最後まで回避したままに終わりました。
戦後は、野球が解禁されましたが、高等商船学校で少し練習を続けただけで、高校と大學ではその余裕もなく、むしろ大學に残ってから、教員の対抗戦に出て腕試しをした思い出が残っています。プロ野球の方も、今は、巨人が嫌いなだけで、あとはどこが勝っても気にならなくなりました。