最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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古い日記

 連休中に古い資料を探していたら、随分古い学生時代の日記が出てきた。日記はほとんど書いた記憶もないのでめずらしいものだ。古いノートの表紙には「日誌」といい記載があり、1952年1月7日よりとなっているが、中身はほとんど白紙で、わずかに1952年1月7日から同年4月17日までと、1953年8月3日から同年9月3日までの間、読みにくいペン書きの字で数ページが埋められているにすぎない。
 前半の1952年始めの時期は、私が京大法学部3回生当時で、結核のため長期休養を余儀なくされ、大學は休学して雪国の田舎で療養していた頃である。勉強したい気持ちは持ちながらも、大學の講義にも出られず、就職の心配もあって、あせりと悩みの気持ちがにじみ出ている。
「英文毎日は毎日来るし、法律時報、エコノミスト、会社法など、勉強のための材料は揃っているのだが・・・・・・、根気が続かず、体への影響も考えてあまりつめてはやらず、気まぐれに流されている」とある。(結局は、身体検査で就職試験は不合格に終わった)。
 一方、後半の1953年夏の時期は、ようやく大学院の特研生に採用された後、京都の鳴滝に下宿を始めた頃にあたる。研究者になるための身分と方針は決まったものの、まだ体調に不安をかかえた駆け出しの頃のおぼつない心境が現われている。「暑いけれど、するだけの勉強はせねばならない。今日はドイツ語をやった。語学には根気が肝要」と書きながら、「8月に入ってから余り几帳面に勉強していない。刑法学も全く前途遼遠だ。確実な一歩こそ大切だ」というように、まだまだ軌道に乗ったとはいえないひ弱さが感じられる。当時は27歳の独身時代であるが、体重は17貫800グラム(約67キロ)と記録されている。
 それ以後は、1974年から1976年までの2年間ポーランドに留学していた期間の日記が残されているだけで、あとは毎年の行事手帳によってしか、過去の記憶を辿ることができない。私にとっても、日記を続けることはできなかったのである。
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by nakayama_kenichi | 2005-05-03 14:05