わが国の脳死説
2011年 02月 08日
その中で、私が気になりましたのは、日本の刑法学会でも、「死の定義」に関する従来の三徴候説(心臓および呼吸の不可逆的停止と瞳孔反応の消失)から、脳死説〈脳の機能の不可逆的停止〉への転換がはじまっており、とくに刑法学会の長老である団藤教授と平野教授がいちはやく脳死説を主張されたのは、お二人がどこかで相談して決心されたのではないかという推測が述べられている点です。
たしかに、お二人とも、あえて通説に抗して「脳死説」に賛成されたことは事実ですが、その主張された時期と経過が異なることに注意しなければなりません。私が『刑法各論』を書いた1984年には、当時の脳死説の論者として、「平野、斉藤(誠)、植松」の諸説を挙げており、団藤説は含まれていません。そして、団藤教授が脳死説を主張されるに至ったのは、『刑法綱要各論』第3版(1988年)の中で、「総論改訂版208頁の見解を改める」として三徴候説から脳死説に改説されたことに由来します。
これに対して、平野教授は、すでに『刑法概説』(1977年)の中で、「脳死の判断が・・・確実なものであるか現在の段階ではなお若干の疑問があるが、脳死を規準とするのが基本的に妥当であると思われる」とされていました。
そこには、数年間の時期の開きがあるほか、その他の問題を含む両教授の所説とアプローチの相違をも考慮しますと、相談(協力)して脳死説を唱えられたとはとても思われないのです。