最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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瀧川先生との出会い

 私が昭和24年(1949年)4月に京大法学部に入学したときは、憲法が佐々木惣一、民法が末川博、刑法が瀧川幸辰、法哲学が恒藤恭、政治学が田畑忍といった豪華な教授陣がそろっており、私も最初の1年間はノートをとって講義を聴き、これらの科目の学年末試験も受けました。瀧川先生の講義は分かりやすく、とくに責任論(意思自由論)には興味を引かれたことを今でも覚えています。
 しかし、2年目からは学生運動にかかわり、結核にかかって1年間休学し、復学後も大學の講義はほとんど受講せず、年度末の試験だけを受けて、辛うじて卒業しました。
 私は、学生時代から宮内裕先生のところでシベリア帰りの友人にロシア語を習っていましたので、宮内先生のおすすめもあり、刑法の瀧川ゼミを選択しました。ゼミにはほとんど休まずに毎週出席したと思います。そして、卒業前に先生の研究室を訪問した際、ロシア語ができるのかと問われ、自分も戦前の大正期に末川先生などどロシア語の勉強会をしたことがあるといわれた後、私が持参していたロシア刑法の本の表紙の題名をすらすらと読まれたのが印象的でした。そのようなことあって、私は瀧川先生の指導の下で大学院に進むことになったのです。
 しかし、旧制の大学院にはスクーリングがなく、先生は多忙のご様子で、あまり日常的な指導を受けることはない状態でした。ただ、図書館の本を借りる際には、指導教授のサインが必要でしたので、遠慮しながら研究室に電話をかけてから伺い、その際に研究上のアドバイスも頂くというのが慣わしになっていました。ドイツ法については、リストの教科書の22版を示して、これを読むようにいわれたことを覚えています。
 当時の京大法学部では、瀧川先生は特別の存在でしたので、そのもとで弟子の私などは風当たりが少なくすんだように思っています。
 
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by nakayama_kenichi | 2005-04-23 14:01