少年に対する死刑判決
2010年 11月 28日
ただし、わが国にはいまだ死刑制度が存在しますので、従来の職業裁判官による死刑判決に対する再検討という動きがない以上は、裁判員裁判になっても、同様の基準によって死刑判決が科されることはむしろ予想された結果だという評価もあり得るでしょう。
しかし、一般市民である裁判員が「死刑」(司法的殺人)の評議や言い渡しに直接関与することは、初めての経験であり、その受け止め方や心理的な負担を無視することはできず、それが今後も広がることが予測されます。それは、裁判員の負担軽減という当局者の意思にもそぐわない「重い負担」になることは必定です。
そこで、これを避けるためには、考えられるいくつかの選択肢があります。①少なくとも少年には死刑は科さない(少年法の理念の尊重)。②少年事件を裁判員制度から外す(対象事件の見直し)③死刑判決は全員一致を条件とする(米国の陪審制で死刑のある州ではほとんど全員一致制)、④死刑選択の「永山基準」を見直す(山口県光事件判決に対する批判)、⑤死刑存廃問題を立法課題にする(市民が直接かかわることの自覚)、⑥裁判員制度を全体として見直す(選択制の導入、保釈の拡大、証拠の全面開示、守秘義務の緩和など)、⑥死刑廃止の国際的動向と経験から学ぶ(とくに韓国の長期停止)。
少なくとも、今回の前例から、裁判員裁判が少年を含む死刑判決を容認する方向に安易に流れることを避けるために、より慎重な「歯止め」の工夫を幾重にも模索すべきでしょう。
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大津日吉神社の紅葉