明治26年の「日本修身書」
2010年 08月 16日
第1課(父母の恩)から始まって、第20課(忍耐)に至るまで、毛筆の大きなひらがな書きで、各課の最初には、繊細な挿絵が描かれています。内容的には、父母の恩と孝養から、兄弟、朋友と続き、あとは一般的な処世訓となっています。天皇の恩や臣民の義務という項目は見当たりません。以下、そのなかのいくつかをそのまま引用しておきます。
「言(コトバ)をつつしまざれば、わざわいをひきおこすことあり。勇作が、きゃくの心をそこなひたるをみても、これをしるべし。わざわいは、口よりおこる」(第8課 言語)
「あらそわざるは、人にまじわるのみちなり。徳太郎は、おこないただしくして、人とあらそひたることなかりければ、つひに人にうやまわれたり」(第11課 温和)
「板倉重昌は、けらいのために、たいせつなゆみををられたれども、すこしもいからず、かえりてその人をなぐさめたり。かんにんの、なるかんにんは、たれもする、ならぬなんにん、するがかんにん」(第11課 弘量)
「宇右衛門夫婦は、いふくたはたをうり、うえたる人をたすけ、またそのむすめも、いふくをぬぎて、こご江たる人にあたえたり。己あたたかなりとも、人のさむさをおもふべし」(第17課仁慈)。
「むかし小野道風といへる人あり、かはづの、やなぎの江だにとびつきたるをみて、しんぼうのたいせつなることをさとり、てならいをはげみて、なだかきてかきとなりたり。おこたらざれば、なにごともなる」(第20課 忍耐)。以下、略。
----------------------------------