植木枝盛の憲法草案
2010年 07月 17日
1.鈴木安蔵は、明治、大正、昭和時代を生き抜いた著名な憲法学者であり、大正デモクラシーの時代思想を貫いたのに対して、植木枝盛は、明治前の安政年間から明治前期の時代の政治思想家であり、明治初期の自由民権運動の代表的な論客である。
2.鈴木安蔵の「憲法研究会」による「憲法改正要綱」(1945年)は、戦争と軍隊をいっさい持たず、平和と民主主義と国際連帯をうたい、それがマッカーサー総司令部によって高く評価されていたことは、日本国憲法がアメリカの「押し付け憲法」ではなかったことを示すものである。
3.植木枝盛は、明治14年に「東洋大国国憲按」(202条)を公表したが、それは当時の憲法草案の中でも、もっとも詳しい人権規定(生存権など)を含む急進的なものであった。死刑廃止の思想や陪審裁判を受ける権利のほか、国際連合への示唆も含まれていた。
4.鈴木安蔵が引用した植木枝盛の憲法草案のうち、出版法によって1933年に削除され、「伏字」になっていたのは、抵抗権と革命権に関する以下の3ヶ条である。第70条「政府国憲ニ違背スルトキハ日本人民ハ之ヲ排斥スルコトヲ得」第71条「政府官吏圧制ヲ為ストキハ日本人民ハ之ヲ排斥スルコトヲ得、政府威力ヲ以テ壇恣暴虐ヲ逞フスルトキハ日本人民ハ兵器ヲ以テ之ニ抗スルことを得」第72条「政府恣ニ国憲ニ背き壇ニ人民ノ自由権ヲ残害シ建国ノ旨趣ヲ妨グルトキハ日本国民ハ之ヲ覆滅シ新政府ヲ建設スルコトヲ得」。
そのほか、植木枝盛が庶民に訴える有力な手段としていた「民権はやり唄」、「民権田舎歌」、「ダイナマイト節」、「オッぺケペー節」なども紹介されています。