桐畑古墳の見学
2010年 05月 17日
「志賀山寺岩屋不動尊」と書かれた小さな門を入ると、すぐに新緑の青葉のかげに大小の岩があり、大きな洞窟が見つかりました。数メートルの長さがあり、少し体を曲げないと入れないくらいの深い洞窟ですが(横穴式ドーム型後期群集墳)、その奥には、不動明王の像が安置され、赤い供花が目につきました。洞窟の内部は暗いのですが、灯明の明かりで、仏像がはっきり見えました。古墳の近くの岩肌には別の地蔵尊も安置され、辺り一面は静寂そのもので、新緑の木々の間には、桃色のつつじの花が咲いていました。
「桐畑」古墳の名にこだわるのは、もちろん郷里の余呉町川並の「桐畑姓」との関係からですが、この桐畑古墳の守り主としてすぐ傍らに住んでおられる方も「桐畑姓」であり、余呉町の出自であることも聞き及んでいました。ただ、当日は生憎お留守だったので、くわしい事情をお聞きすることは残念ながらできませんでした。
帰途に立ち寄った「大津市埋蔵文化財調査センター」でもらった冊子には、桐畑古墳について、次のような解説がついていました。「都が遷る、100年余り前のここ大津の地には、大陸や朝鮮半島から渡ってきた渡来人の影響を受けた人々の文化が盛んでした。・・・・・桐畑古墳は、熊ヶ谷古墳群の1号墳で、6世紀後半頃に作られたものと考えられています。これらの古墳の形態は、朝鮮半島のものに類似するといわれています」。
なお、付近には「滋賀大仏」とよばれる大きな石像もあり、その柔和な表情に心を癒されました。桐畑古墳にも、また付近の古墳にもまた来てみたいと思いつつ下山しました。
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桐畑古墳の洞窟内部の不動明王