最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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雪を担って共に井を填(うず)む

 九州弁の直言とユーモアで知られる旧知の高木弁護士から、過日の日弁連の刑事法制委員会の折に、『法光』(平成22年241号)という小冊子を頂きました。臨済宗関係の文献で、そのなかに、2009年7月に102歳で亡くなられた「龍源寺」先住職の松原泰道師への追悼の辞と、師自身の生前の記念講演の内容が紹介されています。
 松原泰道師は、普段から「臨終定年」が口癖で、本当にその通り、亡くなる3日前には近所で話をされていて、本当に病んだのは2日間という大往生であったとのことです。遺言には、「私の死んだその日は地獄での説法の初日です」というものでした。
  この名僧といわれた松原泰道師の生前の講演録のなかに、「雪を担って井を填む」という項目がありますので、その示唆に富む内容を紹介しておきましょう。
  まず、お釈迦様の説かれた「雑宝法蔵経」のたとえ話とは、ヒマラヤの山麓の森に山火事が発生し、森の中に住んでいる虎や獅子が懸命に火を消そうとするが、手がつけられず、彼らも危険を感じて岩陰に隠れていたところ、一羽の小鳥が自分の羽にわずかな水溜りをのせて、延々と燃え盛る火を消そうとしている。虎や獅子は無駄だといったが、小鳥は「私に出来ないことはよくわかっているが、私は水を運ばずにはおれないのです」と答えたというものです。これを受けて、松原泰道師は以下のように述べられています。
  「お釈迦様はこのたとえ話から「出来る、出来ない」を越えて「なさずにはおれない」というこの小鳥こそが仏教の精神なのだと弟子達に述べています。・・・般若心経の終りのところに白隠禅師の『雪を担って共に井を填む』という言葉があります。雪で井戸を埋めたって、少しも効果はありません。しかし私は不可能を不可能と割り切らずに、どこまでも努力していくところに意味を見つけていきたい。それが私の布教誓願です」。
  「出来ないからやめた」ではなく、自分のなすべきことならば、どこまでも努めていくというとことろに、本当の人間の叡智があるという言葉に心を動かされました。
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          『法光』241号の表紙 墨画家 小林東雲氏作
    
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by nakayama_kenichi | 2010-04-25 10:26