「誤判」事件から学ぶ司法改革を
2009年 02月 16日
したがって、法律やその解説を見ても、どこにも「誤判」や「冤罪」の防止のための改革という視点を見出すことができません。日本では司法に対する信頼が高いといわれていますが、最近でも、2007年1月、強姦事件で有罪が確定していた富山の事件で、別の真犯人がいることが明らかになった「氷見事件」や、2007年2月、公選法で起訴されていた被告人らに強引な取調べによる虚偽自白の採取があったとして全員無罪になった「志布志事件」など、「誤判」による人権侵害事件が跡を絶ちません。
ここからは外国の例ですが、北大の白取教授によりますと、フランスでは、無実を主張した13人の被告全員が無罪となった事件直後の2005年に、国民議会が調査委員会を設置し、その詳細な報告書に基づいて、未決勾留に対する厳格なチェック、未決勾留手続への弁護人の立会権、警察留置場での被疑者の取調べの録画などの改革が一挙に実現したといわれています(法学セミナー2009年、651号、巻頭言)。
ところが、わが国では、司法への「国民参加」は何とか実現しても、その前提となる捜査過程の現状(代用監獄における密室での取調べ、弁護人の立会権も取調べの全過程の録画もない中での自白調書の偏重)の抜本的な改革は何一つ進んでいないのが現状です。「国民参加」の前に、「誤判から学ぶ司法改革」をこそ推進すべきときだと思います。